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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)10054号 判決

原告 保科つぐ

被告 国

主文

被告は原告に対し、原告が定額郵便貯金証書、番号定Jを一四三八五および同、番号定Bをひ五三八を提出したときは、引換えに、金五二万〇七一〇円を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金五二万〇七一〇円およびこれに対する昭和四三年八月二二日から完済まで年四分二厘の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、その請求の原因として次のとおり述べた。

一  原告は昭和四三年二月二一日船橋市本中山二丁目三二八番地の二所在の中山駅前郵便局に左の如き二とおりの定額郵便貯金をした。

1  定額郵便貯金番号定Jを一四三八五

元金 五〇万円

2  定額郵便貯金番号定Bをひ五三八

元金 一万円

いずれも利率年四分二厘、すえ置期間六ケ月

二  右各定額郵便貯金はすえ置期間の経過により昭和四三年八月二一日に払もどし開始日が到来した。

三  原告は保科平治郎と後妻間の末娘で平治郎と同居し、平治郎は原告に婿をとらせ保科家をつがせた。ところが平治郎と先妻との間には長男の光を含めて数人の子があり、これらが父平治郎の、末娘の原告に保科家をつがせてその財産を原告に譲るというやり方に不満をもち、昭和四三年の初め頃平治郎に取り入り、平治郎が原告につがせた保科家の財産を原告から取りあげる方策に出、同年三月頃原告と異母姉妹になる保科あきが原告の留守中原告方をおとずれ、平治郎のたすけをかりて、原告が箪笥の中に保管していた前記定額郵便貯金の各証書(以下本件貯金証書という。)その他の書類を持ち出した。この件はその後刑事事件として発展したが、平治郎、あきは警察、検察庁の取調べにもかかわらず、本件貯金証書の返還はおろか、その所在をも明らかにせず、もちろん再三に亘る原告の返還請求をその後も拒否し続けて今日に至り、原告は本件貯金証書の現実の支配を失い、その支配の回復は不可能である。

四  郵便貯金規則(以下、規則という。)第五四条第二項の「貯金証書の亡失」にいう「亡失」とは、物理的存在がなくなつた場合のみならず、預金者が盗難に会つたり遺失したりして、貯金証書が預金者の現実の支配下になくなり、容易にその支配を回復できない事態に至つた場合をも含むものと解すべきである。貯金証書なしに貯金を払もどすことによる二重払の危険というも、そもそも郵便貯金を日本全国のどの郵便局ででも払もどすということは、危険この上ないことであつて、大事な貯金を預る者の行うべきことではない。いわば法の不備である。この不備を口実に、かえつて、本来有価証券ではない貯金証書の「亡失」を曲解することは許さるべきではない。また日本全国どこの郵便局ででも支払に応ずるという法の不備を補うため、貯金をした郵便局以外で貯金の払戻請求があつた場合、必ず貯金証書、印鑑のほかに、請求した者が貯金名義人であることを証する証明書類の呈示を郵便局員が求めているのが実情であり、したがつて二重払のおそれの如きは実際には生じていない。

原告が本件貯金証書の現実の支配を失い、その支配の回復は不可能であること前記のとおりであるから、右は規則第五四条第二項の「貯金証書の亡失」にあたるものである。

五  仮に右が認められないとしても、定額郵便貯金は預金者と国との間の定額郵便貯金契約によつて生ずるものであるから、国は定額郵便貯金契約の締結者から、期限後に請求があれば、たとえその者がその証書を失つていたとしても、該証書が有価証券でない以上、貯金を払もどす義務がある。

前記各定額郵便貯金の契約者は原告であり、原告が中山駅前郵便局の窓口にきて契約したことは被告にも明白な事実である。

したがつて、被告は間違いのない契約者の原告から請求があれば、これに応じて前記各定額郵便貯金を原告に払もどすべきである。仮に原告が貯金した金員が平治郎のものであつたとしても、期限がくれば、被告は契約者である原告に払もどすのが当然である。

六  しかるに、被告は本件貯金証書の提出がないかぎり支払請求には応じられぬ旨あらかじめ言明し、払もどし証書の発行をも拒否して払もどしを拒否するので、被告に対し前記各定額郵便貯金の元利合計金五二万〇七一〇円およびこれに対する昭和四三年八月二二日から完済まで年四分二厘の割合による遅延損害金の支払を求める。

被告指定代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、なお仮執行の宣言がなされるときは、担保を条件とする執行免脱の宣言を求め、答弁として次のとおり述べた。

一  請求原因第一項中、原告が昭和四三年二月二一日原告主張の中山駅前郵便局窓口にきてその名義で原告主張の各定額郵便貯金契約を被告と締結したことは認めるが、その余は争う。

二  同第二項は認める。

三  同第三項中、原告が本件貯金証書の現実の支配を失い、その支配の回復は不可能であることは争う、その余は不知。

四  同第四項は争う。郵便貯金法、規則にいう証書の亡失とは、盗難または遺失等により証書が預金者の支配を離れただけでは足りず、その結果証書の所在が判明しないためにその占有を取得する途が存しない場合をいうものと解すべきであつて、所在がわかる限りは、預金者はその証書を回復してそれにより権利を行使すべきが当然である。これを本件についてみるに、本件貯金証書は現にこれを占有している者の所在、氏名が判明しているのであるから、原告がこれが取り戻しを求める手段を講ずることによつてその占有を回復する余地が存し、原告が現在その占有を有しない状態は右亡失に該当しない。

本来郵便貯金は、全国多数の郵便局で一般大衆に簡便な貯蓄手段として利用させることを目的として国が経営するものであり、この目的に照らし、郵便貯金の払もどしの場合の運用については、条件に合致さえすれば、自局(預入取扱局)他局の区別なく払もどしをする建前を採つているものであり、原告もそれを承知でこれを利用しているものであるから、右取扱いをもつて法の不備というのはあたらない。また郵便貯金の払もどしの場合の取扱いは、元来請求者の所持する通帳または貯金証書を唯一の資料として貯金額を確認して払もどしをするのである。したがつて貯金証書が存在するにかかわらず、あえて無証書による支払をした場合には、その後にさらに貯金証書を提示してその支払を求められた際に、その請求を受けた郵便局はそれがすでに無証書によつて支払済のものかどうかを事前に点検することができないので、当然二重払をする危険性が存するのである。その場合に原告の主張する証明書類の提示のごときは、請求人が正当な権利者であることについて信を措きがたいとき、それを確かめるための方法の一つとしてこれを実施しているに過ぎないから、これにより二重払の危険がないとはいえない。

五  同第五項は争う。特別法である郵便貯金法第五五条第一項、第五七条第五項によれば、定額郵便貯金の払もどし金の払渡は貯金証書と引換えにこれをする旨規定し、さらに規則第八五条、第八六条、第九〇条、第九一条の準用する第六六条、第一〇〇条は、現在高の確認をうけていると否とを問わず、定額郵便貯金の預金者が払もどし金の即時払を受けようとするときは、貯金証書の受領証欄に元利合計金額および住所を記載し、かつ、記名調印し、貯金証書を郵便局に提出してこれを請求しなければならず、右請求があつた場合は郵便局は必要な調査をなした上貯金証書の持参人に払もどし金の交付をする旨規定しているのである。したがつて、期限後といえども、証書が亡失していない以上、証書の提示がなければ郵便局には払もどしに応ずべき義務がない(規則第九七条、第五四条第三項)。

証拠〈省略〉

理由

一  原告が昭和四三年二月二一日原告主張の中山駅前郵便局窓口にきて、その名義で原告主張の各定額郵便貯金契約を被告と締結したことは被告の認めるところであり、右事実と証人石塚ミサオ、同石塚甫の各証言によれば、原告が昭和四三年二月二一日原告主張の各定額郵便貯金契約を被告と締結したことが明らかである。

したがつて、原告は右各定額郵便貯金契約に基づく預金者としての権利を取得したものと認むべきである。

二  右各定額郵便貯金はすえ置期間の経過により昭和四三年八月二一日払もどし開始日が到来したことは当事者間に争いがない。

三  証人石塚ミサオ、同石塚甫、同保科忠夫、同保科光の各証言に証人保科あきの証言の一部をあわせ考えると、原告は保科平治郎と後妻間の末娘で平治郎と同居していたが、平治郎と先妻間には長男保科光、長女保科あき等があり、原告名義の不動産等の財産をめぐつて原告と平治郎、光、あき等との間に紛争を生じたこと、本件貯金証書は、原告が右定額郵便貯金をした際、前記中山駅前郵便局から交付を受け、自宅に保管していたところ、留守中紛失し、昭和四三年四月下旬頃保科あきが本件貯金証書を持つて前記中山駅前郵便局にゆき、払もどしができるかどうかをたずねたことがあつたが、その後同年五月初頃からは保科光が本件貯金証書を使用印鑑とともに所持していること、平治郎、光、あき等は、原告が右各定額郵便貯金契約により貯金した金員は本来平治郎のものであつたとして、原告からの本件貯金証書の返還要求を拒否し、本件貯金証書を原告に引渡す意思のないことが認められ、証人保科あきの証言中右認定に反する部分は前掲多証拠に照らして信用しがたく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

四  右の認定事実によれば、原告は、父平治郎、異母兄姉の光、あき等との紛争のため、本件貯金証書の支配を失い、任意返還を受けてその支配を回復することは期待しがたいところであるといわねばならないが、本件貯金証書の所在がわからないということはできないこともちろんであり、原告において本件貯金証書の占有を取得する途なく、占有回復が不可能であるということはできない。

ところで郵便貯金規則第九七条によつて定額郵便貯金に準用される第五四条第二項の「預金者が貯金証書を亡失したため提出することができないとき」とは貯金証書の物理的滅失の場合のみに限られるべきではないが、ただ、貯金証書が、盗難等により、預金者の現実の支配下になくなり、その現所持人が引渡を拒むため、任意引渡を受けてその占有を回復することが期待しがたいというのみでは、未だ右の「預金者が貯金証書を亡失したため提出することができないとき」にあたるというに足りないと解するのが相当である。

この点に関し、原告は「貯金証書なしに貯金を払もどすことによる二重払の危険というも、そもそも郵便貯金を日本全国のどの郵便局ででも払もどすということは危険この上ないことであつて、いわば法の不備であり、この不備を口実に、かえつて、本来有価証券ではない貯金証書の「亡失」を曲解することは許されない。」と主張するけれども、郵便貯金法は、郵便貯金を、国の行う事業とし、簡易で確実な貯蓄の手段としてあまねく公平に利用させようとするのであるから、郵便貯金を預入取扱局のみではなく、他の郵便局ででも払もどすこととしても、これをもつて法の不備というのはあたらないというべく、したがつて、盗難または遺失等によつて預金者が貯金証書の占有を失つたというような異常例外の場合、占有回復の方法がある限り、かえつて、預金者に右方法を講じさせ、しかる後に権利を行使すべきこととしても、かかる預金者の手数、負担をあながち不当ということはできないから、原告の右主張は採用できない。また原告は「貯金をした郵便局以外で貯金の払戻請求があつた場合、必ず貯金証書、印鑑のほかに、請求した者が貯金名義人であることを証する証明書類の呈示を郵便局員が求めているのが実情であり、したがつて二重払のおそれの如きは実際には生じていない。」と主張するが、郵便局員は当然原告主張のような証明書類の呈示を常に求めねばならないものではないし、また、原告主張のような実情にあることを認めるに足りる証拠もないから、貯金証書なしに貯金を払もどすことによる二重払の危険を否定することはできない。原告の右主張も採りえない。

してみると、原告は本件貯金証書を亡失してこれを提出することができないときに該当するということはできない。

五  原告は「定額郵便貯金は貯金者と国との間の定額郵便貯金契約によつて生ずるものであるから、国は定額郵便貯金契約の締結者から、期限後に請求があれば、たとえその者がその証書を失つていたとしても、該証書が有価証券でない以上、貯金を払いもどす義務がある。」と主張する。

定額郵便貯金証書は有価証券ではなく、それ自体としてはただ定額郵便貯金の預入を証明する文書にすぎない(郵便貯金法第一四条、第五七条、第三三条)けれども、郵便貯金についての特別法である郵便貯金法によれば、定額郵便貯金の払もどし金の払渡は貯金証書と引換えにこれをするものとされ(同条第五五条第一項)、規則第八五条、第八六条、第九〇条、第九一条の準用する第六六条はさらに定額郵便貯金の預金者が払もどし金の即時払渡を受けようとするときは、預金者は貯金証書の受領証欄に元利合計金額および住所を記載し、かつ記名調印し、貯金証書を郵便局に提出して請求しなければならず、右請求があつた場合に郵便局は貯金証書の持参人に払もどし金を交付すべきものとしているのであるから、定額郵便貯金証書が有価証券ではなく、それ自体としてはただ定額郵便貯金の預入を証明する文書であるからといつて、原告は当然に本件貯金証書なくして上記各定額郵便貯金の払もどしを被告に請求できると解することができないこともちろんである。したがつて原告の右主張は採用の限りでない。

六  以上のとおりであるから、被告は原告に対し、原告が本件貯金証書を提出したときは、引換えに、上記各定額郵便貯金の元金計金五一万円とその六ケ月間の利息金一万〇七一〇円合計金五二万〇七一〇円を支払うべき義務があるというべく、原告の本訴請求は右の限度において正当であるから、これを認容し、その余は失当として棄却すべきである。

七  よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条を適用し、仮執行は不相当としてその宣言をなさず、主文のとおり判決する。

(裁判官 園田治)

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